!extend:checked:vvvvvv:1000:512 早稲田大学競走部HP http://www.waseda-ac.org/ 早稲田大学競走部公式アカウント(ツイッター) 早稲田大学競走部vol.355 [無断転載禁止]©2ch.net 1 : ゼッケン774さん@ラストコール :2017/01/05(木) 16:23:02.65 ID:5skdbVvp 早稲田大学競走部HP https://mao.5ch.net/test/read.cgi/sposaloon/1570116435/, https://mao.5ch.net/test/read.cgi/sposaloon/1572536870/, 【緊急地震速報:20210220011634 青森県東方沖 M4.6 予想最大...(10), 【緊急地震速報:20210218035836 愛知県西部 M3.7 予想最大震...(91), 【緊急地震速報:20210215212613 福島県沖 M5.3 予想最大震度3】(19), 【緊急地震速報:20210215132817 和歌山県北部 M5.0 予想最大...(60), 【緊急地震速報:20210214163159 福島県沖 M4.8 予想最大震度3】(20), 【緊急地震速報:20210214032536 岩手県沖 M4.7 予想最大震度3】(24), 【緊急地震速報:20210213235151 福島県沖 M4.8 予想最大震度3】(37), 【緊急地震速報:20210213233653 福島県沖 M4.5 予想最大震度2】(16), 【緊急地震速報:20210213195231 山梨県中・西部 M3.6 予想最...(28). ※第86回(2010年)は関東学連選抜が第9位に入ったことに加え、第3位に入った日本体育大学が跳躍選手の不祥事でシード権を剥奪されたことから、予選会枠が11校に拡大された。, 箱根駅伝に出場できるのは、以下の3種類の方法で選んだ合計21チームとなった(ただし第90回の記念大会では2枠増の23チーム)。, ※なお、第95回(2019年)以降の5年ごとの記念大会では、予選会の枠とは別個に予選会が免除される「インカレポイント枠」を創設する方向で検討され[13][14]、第95回大会では関東インカレ5年間の総合成績の累計が最も多い大学に出場権を与える関東インカレ成績枠が設けられた[4]が、同大会のみで廃止された。, 申込み(チームエントリー、区間エントリー)は関東連盟が提示する日時と場所で所定の様式によって行われ、資格審査委員会の審査によって参加資格ありと認められた大学・競技者のみ正式出場が認められる(内規第8条)[1]。, チームエントリーは16名以内で、区間エントリーのチーム編成は正選手10名と補欠選手6名以内である(内規第9条)[1]。ただし、留学生については、エントリー2名以内、出走1名以内に制限されている(内規第9条)[1]。現行の16人エントリーになったのは第79回(2003年)からで、背景にはここ数年で体調不良によるブレーキやけがによる途中棄権などが相次いだことで、主役である選手の健康を最優先した主催者側の配慮と言える。第82回(2006年)までは区間エントリーの際にメンバーを16人から14人に減らす必要があったが、第83回(2007年)より区間エントリーでも16人のまま登録することができるようになった。したがって、補欠選手はそれまでの4人から6人に増えた(ただし、後述のように往路・復路の当日エントリー変更は、従来どおり4人までの変更に限られている)。, 区間エントリーは1区から10区までにエントリーされた正選手とその他の補欠選手とに大別される。そして、正選手には主催者側が用意したナンバーカードが配布される。ナンバーは1区から順に1、2…となり、補欠選手は11番から16番までとなる。ナンバーカードの記載は「(前年の順位・予選会の順位に従い大学に割り振られた番号)-(1番 - 16番)」となり、例えば前年3位の大学の6区にエントリーされた選手は「3-6」となる(第80回より。それ以前は大学ごとの番号は付されなかった)。, 変更は正選手と補欠選手との入れ替えのみで4名までとされ、区間変更は認められていない(内規第10条2項)[1]。つまり、補欠選手は当日のエントリー変更で正選手と入れ替えとしてどの区間にも入ることができるが、既に区間ごとに配置されている正選手はその区間しか走ることができない(例えば2区に補欠から選手を入れることはできるが、2区と4区の走者を変えることはできない)。通常の駅伝では補欠選手との交代には医師による診断書の提出が義務付けられているが、この大会は長時間の移動への配慮からその必要がないため、戦略的に補欠との選手交代が行われるケースが数多くあり、補欠選手は言わばジョーカー的な意味合いを持つ。逆に区間エントリーで補欠選手と交替した選手は走ることができないため、当て馬的な要素もある。2区にチームで最も力のある選手を置くのが通常であるが、選手層の厚い大学では「つなぎの区間」にエースを配置し、他大学の虚を突くこともある。, 傾向としては往路での変更は比較的少なく、復路で何人かを変えてくることが多い。また、各校のエースが集う2区の変更が最も少ないようである。逆に言えば、補欠選手になるのはエースとまでは行かないものの、それに準じる選手や力がありながら調子が上がらない選手、全くの無名選手…などが考えられる。近年ではいずれかの区間を走るべき確実な力のある(かつ調子のよい)選手、またエースすらもあえて補欠登録して、他校のエントリー状況や往路の結果を見ながらいずれかの区間に投入する作戦を取る大学も見られるようになった。優勝をねらうチームは、ライバル視するチームの配置を読んだ上で自チームのそれを考える必要がある。逆に予選会を勝ち上がってきたチームや苦戦が予想されるチームの中は、往路重視の布陣を敷いてくることが多い。選手層が薄く、後半区間での巻き返しが難しいため、エースクラスを序盤に配置することで落ち込みを避けるのがねらいである。また、どのチームも特殊区間である5区、6区については候補を複数用意していることが多い。これは他の区間とは違い、コースの特殊性ゆえに突発的なアクシデントなどによる急な抜擢が難しい(起用しても適性がない選手が走ることになるため、結果は芳しくないことが多い)ためである。, 全区間が20km超という長丁場であることを考慮し、体調不良など万が一の状況に備えて選手の交替が認められている点が他の主要駅伝とは大きく違う点である。また、なかなか調子が上がらない選手の様子をぎりぎりまで見るという点でも、補欠温存ができるのは非常に大きい。(2006年から2016年は4区が18.5kmだった), 先述したように箱根駅伝には関東学連加盟校のうち、前年大会でシード権を獲得した大学10校と予選会を通過した大学10校の計20校と、このほかに関東学生連合チームを加えた21チームが出場する(2015年の第91回東京箱根間往復大学駅伝競走以降の編成)[7]。, 本競技会で10位までに入った大学は「シード校」として次回の本競技会出場権を取得する(内規第13条1項)[1]。つまり、前回の本競技会で総合10位以内に入賞していれば本競技会出場権を取得し予選会出場義務は免除される(シード権、予選免除権)。ただしシード権を確保した大学に重大不祥事が発覚した場合、シード権が剥奪される場合がある。, 前回大会でシード権を逃した大学と次の大会の予選会で本選出場権を獲得した大学がすべて一致することもあるが、過去に予選枠が6校だった第56回-第57回、第61回-第62回と、予選枠が9校だった第82回-第83回と、予選枠が10校になった第94回-第95回の計4回しか起きていない。[15], シード校の参加は希望制(日本国内での各学連主催の駅伝大会共通)であるが、不参加チームはいまだ発生していない(出雲駅伝では発生例があった)。, なお、第95回記念大会において関東インカレ成績枠の該当校がシード権を獲得しており出場権を確保している場合には繰り上げは行われないこととされていた[4]。, 第83回から第90回までは関東学連選抜チームが10位以内に入った場合は、シード校は9校となり次回の予選会では10校を選抜するとされていたが(この場合は次年度の出雲全日本大学選抜駅伝競走への推薦校も9校となる)、2014年2月の関東学連代表委員総会において「関東学連選抜チーム」から「関東学生連合チーム」に名称変更されるとともにオープン参加となっている[3]。, 箱根駅伝の予選会は本競技会の2か月以上前に行われ、別に開催要項が定められている(内規第14条1項)[1]。予選会は陸上自衛隊立川駐屯地内の滑走路を周回し、立川市の市街地を通過して、昭和記念公園内をゴールとするハーフマラソン(21.0975km) のコースを各校10名以上12名以下の走者が走って行われる[16]。, 前年の1月1日から予選会申込期日前日までの公認記録で、10000m34分00秒00の記録(トラック記録に限る)を有する選手のみに出場資格があるため[1]、この出場資格を有する者を補欠も含めて10人以上揃えなければならない[16]。以前はこのような出場資格はなかったが、参加校の増加で予選会の段階である程度出場校を絞り込む必要が出てきたことから、このような資格が設けられた[注 6]。, 予選会では各校上位10名の合計タイムにより10校(記念大会では11校)を選出する[16]。, 当初は関東学生10マイル(約16.1kmコース)での成績を選考材料にしていたが、予選会のコース・距離及び選考方法は、次第に変遷を重ね、現在は陸上自衛隊立川駐屯地→立川市街地→国営昭和記念公園の、ハーフマラソン(21.0975km) のコース[19]で予選会を行なっている。予選会のコースは、第95回から、それまでの20㎞からハーフマラソン(21.0975km)に変更されている。, また、当初は参加校全校が予選会に参加し上位15校が本戦出場する規定となっていたが、第32回(1956年)まではいずれも参加校が15校以下であり予選参加の全校が本戦出場していた。第33回(1957年)からは規定が変更となり、前回大会の総合成績上位10校にシード権を与え、予選会からの本戦出場は予選上位5校のみとなり、これ以降は予選会で敗退校が出るようになった。第48回(1972年)からは予選会からの出場枠が6校となり、第79回(2003年)以降は予選上位9校が本戦出場できることとなっていた(学連選抜の前回大会成績がシード圏内の場合は上位10校が本戦出場)。, 第79回大会から第89回大会まではインカレポイント制が導入されていた。これは予選会では本競技会の出場校の数からシード校を除いた残りの出場校数を、まず、タイムにより6校選び(前回の本競技会において関東学連選抜チームが10位以内に入った場合には7校選び)、残り3校はその年の関東インカレの成績に基づくポイント制との併用により選ぶというものである。具体的には各校上位10人の合計タイムにより、まず上位6校(関東学連選抜が前回大会10位以内だった場合は7校)が予選通過となり、残り3校については関東学生陸上競技対校選手権大会の成績に基づくポイント(インカレポイント)による減算タイムを併用して順位を決定していた。インカレポイントは、大学の陸上部全体の成績が反映されるため、駅伝だけではなく陸上競技部全体としての取組が成績に影響する仕組みとなっている。本戦がテレビメディアに大きく扱われるようになって以後、予選会を突破しての本戦出場には、僅差のタイムにより明暗が分かれることが多い傾向にある。特に第83回大会予選会においては、出場を逃した10位の拓殖大学と9位の国士舘大学とのタイム差は、インカレポイントを含めてわずか1秒だった。, 前年大会でシード権を獲得した大学10校と予選会を通過した大学10校の計20校のほかに関東学生連合チームが出場する(2015年の第91回東京箱根間往復大学駅伝競走以降の編成)[3][7]。2014年2月の関東学連代表委員総会において「関東学連選抜チーム」から「関東学生連合チーム」に名称が変更された[3]。, 第79回(2003年)から関東学連選抜チームの参加が認められることとなり、第82回(2006年)までオープン参加として個人記録のみが認められていた。, 5年ごとの記念大会は日本学連選抜チームが関東学連選抜チームに代わって参加することが認められている(内規第12条)[1]。最近では第80回(2004年)で特別に日本学連選抜チーム[注 8] がオープン参加で出場した。, 第79回(2003年)から参加が認められるようになった関東学連選抜チームのメンバーは、予選会で落選したチームに所属する選手のうち個人成績で上位に位置する選手から、各校最大2名までの枠内で選抜される。第80回(2004年)では日本学連選抜としての参加だったこともあり、6位相当の成績を収めたが、通常の関東学連選抜の場合には下位に低迷することが多かった。もっとも、日本学連選抜チームとしての出場の機会しかない関東以外の各地区の学生が最初から選抜チームのメンバー入りを目指し練習してきたのに対し、関東学連選抜チームの場合、所属大学の一員として箱根駅伝に出たいと言う気持ちがあるのは普通のことであり、予選会で落選したショックからわずか2ヵ月後の本番に選抜チームとして招集されたとしてもモチベーションが上げにくいことも事実である。また、大学ごとの真剣勝負の場に趣の異なるチームが混じることへの違和感も根強い[21]。 早稲田の競走部っつーブランドはすごいと思うが、浅川みたいな人間になってしまうくらいならfランでも箱根走れたほうがマシ 436 : ゼッケン774さん@ラストコール :2017/03/30(木) 19:55:35.72 ID:3ZwOzoO3.net 東京箱根間往復大学駅伝競走(とうきょうはこねかんおうふくだいがくえきでんきょうそう)は、例年1月2日と翌3日の2日間にわたり行われる関東地方の大学 駅伝の競技会(地方大会)である。 関東学生陸上競技連盟(以下「関東学連」という。)が主催し読売新聞社が共催する。 競走部の長距離は、副主将は置かなかった気がする。 998 スポーツ好きさん (ワッチョイ 8ba3-pTrw [153.232.43.130]) 2019/10/04(金) 23:03:37.49 ID:wYdgIcRR0 井川は一年生の寮の当番制に不満を持ってるみたいだな 早稲田大学競走部 vol.366 ... 掲示板に戻る ★ULA版★; このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています. !extend:checked:vvvvvv:1000:512 早稲田大学競走部HP http://www.waseda-ac.org/ 早稲田大学競走部公式アカウント(ツイッター) 早稲田の競走部っつーブランドはすごいと思うが、浅川みたいな人間になってしまうくらいならfランでも箱根走れたほうがマシ 436 : ゼッケン774さん@ラストコール :2017/03/30(木) 19:55:35.72 ID:3ZwOzoO3.net 早稲田大学競走部 vol.409。scの画像。2ch過去ログです。 | 予選会のヴェイパーフライ率の高さ amd.c.yimg.jp/im_siggppIP..9-view.jpg 早稲田伝統の出雲1区出遅れは井川で乗り越えられるのか 974 :スポーツ好きさん :2021/02/12(金) 07:05:11.10 ID:NcrC1FQGd.net 早稲田の雄弁会は 大した者だね(笑) 975 :スポーツ好きさん :2021/02/12(金) 09:44:20.36 ID:vnawd3+Td.net >>968 早稲田の肩書きとか全然大した事ないぞ 998 スポーツ好きさん (ワッチョイ e3e3-8xRe [182.166.74.72]) 2019/11/01(金) 16:20:16.67 ID:x4mtAI1m0 田澤1区来そうだな 早稲田大学競走部 vol.432。scの最新50。2ch過去ログです。 | 長南! | 吉本! | 石塚! | 若林 | 伊藤! | 鶴川! 早稲田大学競走部 vol.409。scのレス911-962。2ch過去ログです。 | >>961 辛辣だけど的を射てるな。少ない枠で14:20台の選手を獲る余裕がない。 早稲田大学競走部 vol.409。scの最新50。2ch過去ログです。 | 1000なら早稲田全日本優勝 | 田澤は1区ではなさそう このような意見もある一方、選抜チームの経験をチームに持って帰り次回へのモチベーションとすることは大いに意義のあることであり、参加選手からは「この経験を母校に持ち帰り来年に生かす」との声も聞かれ、後年予選会を勝ち抜き本選出場を果たした大学もある。, 第83回(2007年)からはチームとして正式にタイムおよび順位が記録されることになり、関東学連選抜チームが10位以内に入った場合は、シード校は9校となり次回の予選会では10校を選抜することとなり、この場合は次年度の出雲全日本大学選抜駅伝競走(出雲駅伝)への推薦校も9校となるとされた。これにより全体のレベル拮抗が予選会参加校のレベル向上へと結びつき、第84回(2008年)では関東学連選抜が総合4位という好成績を収め、続く第85回(2009年)も総合9位となり、2大会連続してシード圏内入りを果たした。予選会出場枠が1枠増えることにより自身の所属大学の翌年の箱根出場の可能性がわずかながらも広がることから、関東学連選抜の存在価値が増し、そのレース順位が大きな意味を持つようになった。なお、第80回(2004年)に出場した日本学連選抜については、東京箱根間往復大学駅伝競走に関する内規第12条において、5年ごとの記念大会での参加が認められてはいるが、第85回(2009年)については記念大会であるが日本学連選抜ではなく関東学連選抜が選抜チームとして出場している。, 関東学連選抜チームについては、第86回(2010年)終了時から廃止・継続または新制度の導入などの議論を重ねた結果、2012年6月6日に行われた関東学連代表委員総会において、第89回(2013年)は現行どおり実施(ただし、各校から1名とし、16校から選出)、第90回(2014年)は不採用。第91回(2015年)以降は、廃止・継続のいずれの可能性も残し検討を重ねた[22] 結果、2013年6月10日に行われた委員総会で当初案の5年ごとの記念大会の編成ではなく、第91回以降も継続して実施することが決定した[23]。, 2014年2月の関東学連代表委員総会において「関東学連選抜チーム」からオープン参加の「関東学生連合チーム」に変更された[3]。, コース(競走路)は東京・読売新聞社前から箱根・箱根町芦ノ湖駐車場入口間の往復217.1 km[6]。東京大手町読売新聞社前、日比谷、西新橋、三田、品川、六郷橋、鶴見、横浜駅、保土ケ谷、戸塚、藤沢、平塚、大磯、二宮、小田原、箱根町芦ノ湖駐車場入口の各点がコース上の通過点として設定されている(内規11条1項)[1]。また、日本橋については復路のみ通過点とされている(内規11条1項)[1]。, 以下、各区の主な特徴について述べる(コース途中の括弧書きは主な経由地、および固定テレビカメラ設置地点。通過道路名は国道・主要道以外は割愛する)。, 東京・大手町 読売新聞ビル[注 1] 前(往路スタート)→(東京都道409号日比谷芝浦線)→(国道15号)→(田町)→(品川駅前)→(新八ツ山橋)→(蒲田(京浜急行電鉄・京急蒲田駅))→(六郷橋)→鶴見中継所, 戸塚中継所→(遊行寺坂)→湘南新道→国道134号→(茅ヶ崎)→(湘南大橋)→平塚中継所, 平塚中継所→(国道1号)→(大磯)→(二宮)→(酒匂橋)→(小田原市民会館前)→旧小田原中継所→新小田原中継所, 小田原中継所→(箱根登山鉄道箱根湯本駅前)→(函嶺洞門バイパス[28])→(大平台ヘアピンカーブ)→(宮ノ下富士屋ホテル前)→(小涌園ユネッサン前)→(恵明学園前)→(芦の湯)→(国道1号最高点)→(元箱根)→箱根・芦ノ湖(往路ゴール), 箱根・芦ノ湖(復路スタート)→国道1号→(芦之湯)→(恵明学園前)→(小涌園前)→(宮ノ下温泉郷)→(大平台)→(塔ノ沢温泉郷)→(函嶺洞門バイパス[28])→(箱根湯本駅前)→小田原中継所, 小田原中継所→(小田原市民会館前)→(二宮)→(大磯)→(国道134号)→平塚中継所, 平塚中継所→(湘南大橋)→(茅ヶ崎)→(浜須賀交差点)→湘南新道→(藤沢)→国道1号→(遊行寺坂)→戸塚中継所, 鶴見中継所→(六郷橋)→(蒲田(京急蒲田駅))→(大森)→(大井)→(新八ツ山橋)→(品川駅前)→(田町)→(都道409号)→(国道1号)→(日本橋)→東京・大手町 読売新聞ビル[注 1] 前(復路ゴール), 東京箱根間往復大学駅伝競走競技実施要項並びに東京箱根間往復大学駅伝に関する内規第5章「競技細則」第15条〜第21条に基づいて行われる[31]。, 競技者が競技中にケガや疾病などによって走行困難となり歩行、立ち止まり、横臥などの行動に移った場合で、本人がなお競技続行の意思をもっている場合にも、運営管理車に同乗の競技運営委員、走路管理員、監督またはコーチの三者の合意によって競技を中止させることができる(内規第17条第1項)[1]。競技中止の通告は、大会の競技運営委員が当該走者に対して赤旗を挙げて示す、という手順で行われる[38]。, 競技者が走行困難となり競技中止・途中棄権となった場合、その区間の前区間までの記録は公式に認められるが、次区間からはオープン参加として繰り上げ出発し以後走行そのものは許されるが記録は公式に認められない(内規第17条第2項)[1]。, 現行ルールでは存在しないが過去の記録の上では、正規の選手が走行不能となった時に補欠選手が改めて走り直す「代走(再走)」が行われているケースが確認できる。これは当時のルールが「走行不能になった場合、途中棄権とはならず、代走にて再度該当区間初めから走り直し記録は残る」[40] となっていた事による。このケースでは同一区間について複数名の選手名の記載が確認できる資料がある。このような「代走(再走)」で過去の記録の上では5件確認できる[41]。, タスキの受け渡しは、前走者が完全に所定の中継線を通過した上で、中継線の進行方向20m以内で次走者に渡して行うこととなっている(内規第18条第2項)[1]。, 往路の鶴見・戸塚中継所については先頭走者から10分遅れたチーム、往路の平塚・小田原中継所については先頭走者から15分遅れたチーム、復路すべての中継所については先頭走者から20分遅れたチームは、交通規制の時間を長引かせないため、各中継所審判主任の裁定で、前走者が到着しなくても次の走者を出発させる(内規第19条)[1][42]。これを「繰り上げ出発」という[1](報道などでは「繰り上げスタート」といわれている)。, 繰り上げ出発を採用する他の駅伝と同様に、チームが繰り上げスタートとなった場合、走者は「繰り上げタスキ」と呼ばれるタスキをかける。箱根駅伝の場合、内規第16条第3項により、繰り上げ出発のチームは、2区から4区・7区から9区では、大会本部で用意する黄色と白色のストライプのタスキを使用することになる[1][注 10]。そのため、それまで走っていた選手らにとっては、自らの学校のタスキが全区間つながらなかったという悔しさがにじみ出る瞬間であるといわれ、実際に日本テレビの放送では「無念の繰り上げ」という表現も使われる。同時に出場校はすべての中継所で繰り上げを回避するべく高い競技レベルを維持することが要求される。, 繰り上げ出発が行われた場合、各チームが走行している順位(見かけ上の順位)と実際の順位が異なる場合を生じるため、チームの総合順位は見た目のタイムに繰り上げ分の時間差を加算して算出される。またテレビ中継における順位は、繰り上げ出発による時間差が換算された上で表示される。, これらの事情もあり、繰り上げ出発となったチームの場合、走行順で最初にゴールした場合でも繰り上げ分の時間差を加算すると総合優勝とならないケースがある。, 復路のスタートは、1位から10分以内の大学は時差出発を行い、その他の大学は1位校のスタートから10分後に同時出発する(内規第20条)[1]。つまり、往路のゴールにおいて1位から10分を超えて到達した大学は、3日の復路では午前8時10分(JST)に同時出発となる(報道では「復路一斉スタート」「繰り上げ一斉スタート」などと呼ばれている)。, 同時出発が行われた場合も繰り上げ出発と同様に、見た目のタイムに繰り上げ分の時間差が加算される。しかし、一斉出発の場合は往路からつないできたタスキが途切れるわけではないため、「無念の」などの表現が用いられることは少ない。, 復路の一斉スタートも10分ではなく20分にすべきという主張もあるが、交通規制などの関係から難しいとされる。, 繰り上げ出発などにより、ゴールの着順が成績順位を示さない場合の同タイム校の順位決定は、区間上位者数の多少によるものとされ、まず区間1位の数で比較し、同数ならば区間2位の数と順位を一つずつ下げながら数を比較していき、多い方が上位となる(内規第21条)[1]。, この方法でも同タイム校が複数になった場合は、すべて同順位として扱われ、10位同タイム校が複数になった場合は、すべて10位校として翌年へのシード権が与えられる(内規第21条)[1]。, 箱根駅伝が着想されるに至ったきっかけは1919年10月、金栗四三が埼玉県の鴻巣で行われた小学校の運動会に審判として招かれたことであった。帰路の車中、金栗は(同じく審判として招かれていた)2人の陸上選手、東京高師の後輩・野口源三郎および明治大学の学生だった沢田英一と語り合った。沢田英一がその年の6月に同窓の出口林次郎と二人で札幌・東京間の走破を成し遂げていたことを踏まえ、3人は世界の耳目を集め、日本の長距離選手を育成するような外地での長距離走はできないものかと考えた。このときの結論が「アメリカ大陸横断駅伝」であった。その「予選会」という位置づけで国内での駅伝大会の実施が企図された。アメリカ大陸横断コースで最も大きな障壁となるであろうロッキー山脈の走破を見据え、この「予選会」のコースとして選ばれたのが山越えをコースに含む東京-箱根間であった。金栗らは大学や新聞社を回って参加と協力を訴え、金策に苦労しながらもなんとか1920年2月14日の第1回箱根駅伝の実施へこぎつけた。, こうして箱根駅伝の歴史が始まるが、肝心の「アメリカ大陸横断駅伝」は実現しなかった。明治大学の出口林次郎と早稲田大学の生田喜代治らは箱根駅伝の実施に協力を惜しまなかった報知新聞社を訪ねて再び計画への協力を願ったが、実現は難しいという答えしか得られなかった。二人はあきらめず毎日新聞社の資金を得て調査のため1922年にアメリカに渡った。結局「アメリカ大陸横断駅伝」の話はそのまま頓挫した。その後、出口はコーネル大学からベルリン体育大学に学び、母校明治大学で教鞭をとることになった。しかし生田は渡米5年目の1927年メキシコのカンセンシコで事業をめぐるトラブルに巻き込まれて横死している。資料によっては「アメリカに渡った学生が殺害されたため、アメリカ横断駅伝の計画はついえた」という書き方がされていることがあるが、実際には計画は早々に頓挫しており、生田の死によって駅伝計画が中止されたわけではない[43]。, 別の説もある。箱根駅伝は寒さや雪で最も観光客が少なくなる真冬の2月に観光客を呼び込むため(第1回開催は1920年2月14〜15日)、往路のゴール・復路のスタートを箱根にして、2日間に渡って駅伝の大学対抗戦を開催することで、ホテルや旅館に宿泊してもらおうと行われた観光イベントであった。それは第1回より3年前の1917年に行われた「東海道駅伝徒歩競走」や、野球の大学対抗戦に影響を受けた箱根町郵便局長・石内九吉郎と、その父親で箱根町長だった石内為次郎が企画立案し、神奈川県会議員の河野治平に開催の相談を持ちかけたのがきっかけである。河野治平は関東に影響力のある政治家であり、関東の大学に声をかけやすかった。このことはその後、関東の大学のみが出場する地方大会へと位置づけられていった。同時に河野治平は、政治家を目指す息子達の知名度を上げるために箱根駅伝を走らせた。河野の息子は第1回箱根駅伝で7区を走った河野一郎と第2回で1区を走った河野謙三である。選挙区である小田原を走った一郎は、街道の市民に手を振りながら走ったと言われている。そして河野の孫は関東学生陸上競技連盟の役員を務めた河野洋平である。そもそも駅伝とは、宿駅間を継走し文書や情報を伝達する飛脚制度(現在の郵便配達制度)を競技化した日本独自のものであり、箱根駅伝は手紙や状箱に見立てた襷を、東京(江戸日本橋)から東海道の宿駅があった鶴見(川崎宿)、戸塚(戸塚宿)、平塚(平塚宿)、小田原(小田原宿)で手渡し、日本最古の郵便局である箱根町郵便局(箱根宿・箱根関所)まで届けて、東京に戻るまでの速さを競うという意味があり、箱根町郵便局はよく知られていた[44](第1回は現在の箱根関所跡が往路ゴール地点だったという説もある)。なお、郵便局は戦後にゴール地点から移転している。宿駅を基準に区間を設定しているため、一区間が約20kmとなっており、他の駅伝に比べ長い距離になっている。2月では雪が積もりやすかったため、最終的に雪が積もりにくく観光客が来やすい正月の1月2日と3日に開催されるようになった。観光イベントだったため後述のように地元の協力があり、ルールもあいまいで人力車夫が走ったこともあった。当初はお祭り大会のように開催された箱根駅伝だったが、回数を重ねるごとに競技性が強くなり、1987年のテレビ中継開始後は細かなタイムを競い合う大会に変化していった。, 黎明期は現在のように開催期日が固定されていたわけではなかった。また「学生の本分は勉強」という理由で、午前中に授業をした後で午後からスタートすることもあった[45]。このためにレース途中で日没となり、中でも5区の選手が暗闇の中を走らなければならなかったが、実際には地元の青年団の団員が松明を持って伴走したために事なきを得た[46]。, 山登りの5区は当初はスタートとゴールしか決まっておらず、出場校は箱根山中をできるだけ近道をしようと思っていた。しかし前述のように選手を心配した地元住民たちが松明を持って伴走するなど協力があったので、結局は近道をするチームはなく、全チームが無事に走り終えることとなった。しかし山登りのあまりの苦しさに、道端の木にしがみつき泣きじゃくる選手もいたという。, 1925年の第6回大会で、日本大学は選手の代わりに襷をもらった人力車夫が走ったこともあり4人抜きを見せたが、翌年の出場を辞退せざるを得なくなった(人力車夫事件)[47]。, 勤労学生の出場で二重登録による失格処分になったり、ゴール直前で失神した選手を関係者がラインまで引きずり込んだにもかかわらず失格にならなかったりと失格に関する基準も曖昧だった[48]。箱根駅伝関係の書籍に出場校の歴代全成績がよく掲載されているが、公式順位がついているものの実際には失格扱いになっている大学がいくつかある。このように、かつての成績については資料によって若干の相違点が見受けられる。, 第二次世界大戦前は学制の違いもあり、大学予科から大学本科まで入れると5回以上の出場が可能だった。大学専門部から予科を経て本科まで通い、最高で8回出場を果たした選手がいる。, 第二次世界大戦前から終戦直後に掛けては学生数の絶対的な不足もあって、1チーム10人のメンバーを組むこと自体が困難だった[49]。そのため、戦後すぐのころまでは他の種目の選手が起用されることは決して珍しいことではなかった。同じ陸上競技である短距離や跳躍、投擲選手が起用されたことはまだいい方で、ラグビーやスキーの選手が登場した例も多かったという[50]。現在でも高校から陸上を始めた選手は多く見受けられ、第82回(2006年)・第83回(2007年)大会に出場した亜細亜大の岡田晃や第84回(2008年)・第85回(2009年)・第86回(2010年)に出場した大東文化大の清野篤のように大学から陸上競技を始めた選手もいる。また、1970年代ごろまでは実業団経由で入ってきた選手も多かった。, モータリゼーション化で交通渋滞が増えてきたのが高度経済成長のころ。全国的な知名度はまだ低かったがコース沿線地域での人気は高かったため、コース周辺の交通渋滞に警察からも開催中止要請が出たこともあった[51]。主催者側と警察側との折衝で15校制や繰り上げスタートなどのルール改正がなされたことにより、中止要請は出なくなり15校制は第78回(2002年)まで続いた。, 1960年代から1970年代に掛けては体育系学部を擁する大学が台頭してきたが、この頃は学生運動の時期と重なり、それが好成績にも影響しているとの説もある。, 表彰(優勝校・入賞校・区間賞・金栗四三杯等)は「閉会式」の会場で行われるが、往路優勝の表彰については芦ノ湖の特設会場の「往路表彰式」で行われる[31]。閉会式は1月3日の大会終了後によみうり大手町ホールで行われている。, 第78回までは陸上自衛隊が担当。陸自撤退後の第76回からは三菱自動車が運営車両を提供していたが、リコール隠し騒動の影響で第79回(2003年)をもって撤退。第80回(2004年)から第86回(2010年)まではホンダが運営車両を提供した。[57], 第89回(2013年)まではホンダが車両提供契約を締結していたが、第87回(2011年)から第93回(2017年)までトヨタが運営車両全て(医務車と一部の車両を除いてハイブリッドカー)を提供している。[58], 大会を支えているのは関東学連に加盟している加盟校である。創設以来の学生主体を現在も守り、沿道の走路員スタッフとして学生が起用されている。, 箱根駅伝に出場するチームで選手や付き添い以外の部員、予選会で落選したチームの選手のほかにも1年生を多数スタッフとして送り込んでくる大学、トラック&フィールドも抱える大所帯の大学からも多数のスタッフが派遣される(過去には末續慎吾、為末大なども走路員としてスタッフに加わった。また、第89回〈2013年〉の往路は早稲田大学のディーン元気が3区の茅ヶ崎で大迫傑に水を渡す係として加わった[60]。第96回〈2020年〉では東洋大学の川野将虎【競歩選手】が給水スタッフを務めた[60]。)。このことからも分かるように、箱根駅伝は実は単に長距離選手だけで行われているのではなく、多くの裏方に支えられている。その裏方とは種目は違えど、一緒に汗を流すチームメイトでもある。, ユニフォームが白地に紫(藤色)のラインが入った駒澤大学と、紺色の順天堂大学が激しい優勝争いを繰り広げていた2000年前後に使われていた言葉。第75回(1999年)から第84回(2008年)までは、亜細亜大学が優勝した第82回(2006年)を除き、駒澤大学、順天堂大学のいずれかが制している。, 「山の神」は、全10区の中でも箱根の山登り区間を含む5区を担当し、特に優秀な成績を修めかつ人々の記憶に強い印象を与えた選手を讃える称号である[62]。現在は3人の選手が「山の神」と呼ばれている。, なお、スポーツライターの生島淳は『元祖・山の神』を1974年から4年連続で5区の区間賞を獲得した大久保初男(大東文化大学)であるとし、今井以前の「山の神」に上田誠仁や木下哲彦(金哲彦)を挙げている[68]。, 走者によっては、タスキを次走者へ渡したあと、コースへお辞儀をする選手がいる。これは箱根駅伝へ出場でき、無事に走れたことへの感謝を示す行為で戦前から行われている習慣である[注 17]。従来は個人的な行為であり、チーム全体としては行われてこなかったが、第85回(2009年)に東洋大学が優勝した際、前年に元部員による不祥事があったにもかかわらず関係者の配慮などで出場できたこと、そして沿道で暖かい声援を送ってくれた全ての観衆へのお礼として自粛した胴上げのかわりに行われた。東洋大学は第86回(2010年)、第88回(2012年)に総合優勝した際も胴上げの前にまずコースに向かって監督・コーチ・選手全員で御礼をした後に胴上げをしている[注 18]。, 第87回(2011年)で優勝した早稲田大学の優勝タイムは、従来の総合記録を3分以上更新し、復路が日本橋を経由するルートに変更された第75回(1999年)以降では初めて11時間を切った。そして早稲田大学とはわずか21秒差で2位の東洋大学(11時間00分)、3位の駒澤大学(11時間03分)も、従来であれば十分に優勝出来るタイムであった(従来の総合2位の最高記録は11時間07分代であり、11時間06分以内のタイムで総合優勝を逃したケースはなかった)。, 以降の大会では高速化はさらに進化し、第88回(2012年)では優勝した東洋大学の総合タイムは、前年の早稲田大学の記録を8分以上更新する10時間51分台であった。5区の山登りを(柏原が走ったとはいえ)加味してもなお、全区間の1kmラップが3分を切るという、驚異的なタイムだった。4位早稲田大学でも11時間3分台前半でフィニッシュしており、優勝争いするには11時間を切る実力が求められるようになってきている。第91回(2015年)は、優勝した青山学院大学は初めて10時間50分を切る10時間49分台でゴールした。, 第96回(2020年)に至っては、1区・8区・9区を除く7区間で区間新記録が生まれた他、往路で全チームが5時間40分を切るタイムでゴール。総合タイムでは青山学院大学と東海大学が10時間50分を切るタイムを記録。復路でも全チームが5時間40分を切るタイムでゴール。さらに、シード権が得られる上位10校のタイムが史上初めて、全て11時間を切るタイムを記録している。ちなみに2010年度以降、総合優勝タイムが11時間を超えたのは強風に見舞われた第89回と4区・5区の距離の再改正が行われた第93回大会のみである。往路優勝および復路優勝のタイムが5時間30分を超えたのもその2大会のみである。, 2010年代以降の高速化の要因として、各大学ともに選手のスカウティングやトレーニングに力を入れた結果、選手層が厚くなり優勝争いのレベルが非常に高くなったこと、ナイキの厚底シューズに代表される高性能ランニングシューズが普及し、記録が更新しやすくなったからである。, 優勝を目指す大学にとっては、「つなぎ区間」という概念は無くなりつつあり、全ての区間が「重要区間」「エース区間」と位置づけられるようになってきており、いかに力のある選手が万全の体勢で走れるかが鍵となっている。, 一方、ハイペースに付いて来られない下位の大学にとっては、繰り上げスタートのリスクが非常に高くなっており、如何にタイム差を抑えて母校の襷を繋ぎきれるかが焦点となっている。 早稲田大学競走部 vol.409。scのレス1-50。2ch過去ログです。 | 10位か11位かな? | 11番目が向井 ビリが宍倉かな ※第40回(1964年)の記念大会時は、例年の15校のほかに特例として関西と九州から各1校の計2チームを招待, ※第50、60、70回(1974、1984、1994年)の記念大会時は、特例として20チームで実施。増加分の決定方法は年度により異なるので、後述の歴史の年表を参照のこと。, ※第85回(2009年)は出場校を3校増やす。これは第85回記念大会に伴う措置で、シード校9校(第84回(2008年)で関東学連選抜が第4位に入ったことにより、前項の規定に基づき第85回(2009年)のシード枠が1つ減ったため)と予選会から選考した13校に、関東学連選抜チームを加えた23チームで争われる。予選会選考方式は成績上位10校に自動的に出場権を与え、残り3校についてはインカレポイントを加味して選考する[11][12]。 この手の番組初めてやりますSP』の中で第59回(1983年〈昭和58年〉)の映像を蔵出しで放送された。テレビ東京で中継されていた時代の最高視聴率は13.4%(ビデオリサーチ調べ、関東地区・世帯・リアルタイム)と同番組の中で紹介されている。, 第63回(1987年)から日本テレビが特別後援に入り、全国ネットの本格的なテレビ中継が開始された[86]。第73回 - 第76回(1997年 - 2000年)はCS★日テレでも同時放送された。, 沖縄県など系列局がない地域やクロスネット局のため完全放送できない地域への配慮としての衛星放送の中継はBS日テレで当日に、また日テレジータスでも大会終了数日後に、それぞれ2時間程度にまとめたダイジェスト版を放送している。なお、鹿児島読売テレビからのスピルオーバー電波を区域外再放送する形で沖縄ケーブルネットワークの「テレビにらい」(地デジ111ch)にて、2020年1月2日と3日に実施する「第96回箱根駅伝」の生放送が決定した[87][88]。これにより、一部エリアには限定されるが、沖縄県でも箱根駅伝の地上波放送が開始された。, ラジオでの中継はテレビでの中継よりも古くから行われ、複数の放送局が中継を行っている(テレビ中継も行っている局はテレビ中継放送ネット局参照)。以下に制作局の体制や概要について記述する。ラジオ中継の実況用の映像は日本テレビが制作、テレビ放送用とは別に各局に送っている。, NHK第1放送で放送。ただし、毎正時の前後にはNHKニュース放送のため数分程度中継が中断し、特に正午のニュースを優先するため春夏の高校野球中継と同様に正午前から20分ほど中継を中断する。基本はラジオセンター132スタジオ内のブースに置かれているモニターに映し出される日本テレビの映像を見ながら実況を行うが、中継車を出しており、3位走行中の選手前後に付く。また各拠点にアナウンサーを配置し、電話リポートで臨場感のある実況中継を行う。コースにラジオ中継車がテレビ取材用報道カメラ車、日本テレビのテレビ中継車などに混じり、選手の動向を追っている。なお、テレビ取材用報道カメラ車は日本テレビの移動1号車の後に付く。, なお、NHKワールド・ラジオ日本では第88回(2012年)までは放送権上の制約および電波運用面の都合上、12時台の中断ニュースを除いて同時放送されず、当該時間帯はFM放送の邦楽関連の年始特集番組や定時番組および地上デジタルラジオ実用化試験放送の音楽番組を中心に別番組へ差し替えていたが、第89回(2013年)からは全編同時放送をしている。, 文化放送では『文化放送新春スポーツスペシャル 第○回箱根駅伝実況中継』として中継。第70回大会(1994年)から完全実況生中継となった。2019年現在、文化放送では『出雲駅伝』『全日本大学駅伝』も中継しており、3大駅伝のすべてをラジオ中継している(そのこともあり、「大学駅伝ラジオ独り占め -FIGHT THE FUTURE-」をキャッチフレーズにしている。ただし、『出雲駅伝』は2014年までプロ野球のクライマックスシリーズと重複した場合、その時間はインターネットのみの放送としていた。2015年は体裁上プロ野球との二元中継形式、2016年からは完全に駅伝優先となった)。, 原則としてNRN加盟局で放送。ただしネット局は基本的に8:30・9:00から中継を開始し、更に一部の局では別番組を放送するため、中継が長時間中断する(11:00飛び降り、12:30(13:00)飛び乗りなど。ただし近年は長時間中継を中断する局はみられない。)。また、文化放送以外のネット局では、局名がつかない『新春スポーツスペシャル 第○回箱根駅伝実況中継』に改題して放送しており、CM明けのジングルも文化放送から裏送りした上で差し替えている。なお、8:00以前と14:00以降は文化放送のみのローカル放送となるため、この間は実況アナウンサーからも「文化放送新春スポーツスペシャル」と読み上げられる。, 中継車を出していないため、メイン実況のアナウンサー(公式サイト上の呼称は「センター実況」、2020年以降は往路:寺島啓太、復路:長谷川太)は、スタジオ(放送上の呼称は「放送センター」)で日本テレビの映像を見ながら実況(いわゆる「オフチューブ」方式)[注 27]。同局の中継とは別に、大学生時代に箱根駅伝で目覚ましい活躍を見せた人物を、往路・復路共通の「メイン解説者」(2021年は柏原竜二)や、往路・復路のいずれかを担当する「ゲスト解説者」(2021年は往路:神野大地、復路:吉田祐也)に迎えている。ちなみに、2020年までは、「センター実況」の担当者と解説陣が「放送センター」で同席。新型コロナウイルスへの感染が拡大している状況で駅伝が開催された2021年には、現役の社会人ランナーから招聘する「ゲスト解説者」のみ、「放送センター」とは別の場所からリモート方式で中継に出演している。, また、「放送センター」とは別のスタジオを「情報センター」という名称で使用。記録・タイムを伝えるアナウンサー1名(2020年以降は往路:長谷川、復路:寺島)、中継所通過時点での順位速報や(1区・6区を除く)区間の走者の氏名・大学名を伝える女性アナウンサー1名(2021年はフリーアナウンサーの小川真由美[注 28])、提供クレジットの読み上げや途中飛び乗り・飛び降りネット局向けの案内を担当するアナウンサー1名[注 29](2021年は往路:坂口愛美、復路:松井佐祐里)を入れている。順位速報担当の女性アナウンサー[注 30]は、2018年まで、twitter上の公式アカウントに寄せられた大会・中継関連のツイートの一部も読み上げていた。2019年からは、ツイートに代わって、「応援一口メモ」(本選出場全校への事前取材に基づく注目選手の情報)を紹介している。, 番組の途中では、ニュース、天気予報、交通情報、さらには首都圏の鉄道情報も挿入される。11時台後半のニュース、天気予報、交通情報はネット局でもそのまま放送される。そのため、通常の「文化放送ニュース」や「文化放送交通情報」・「文化放送天気予報」のジングルは使用しないうえ、「全国のニュース」「首都圏の交通情報・天気予報」といった表現に改め、ジングルは「箱根八里」に変更してネット局に配慮している。なお、ネット局は9:58、10:58、12:58からそれぞれ5分間中継を中断し、各ネット局からニュースや天気予報、交通情報を放送する[注 31][注 32]。また、「情報センター」からの記録の読み上げや、中継所・拠点からのリポート、「応援一口メモ」の直前にはジングルを鳴らし分けている。, 実況については、放送事業局報道スポーツセンター所属のスポーツアナウンサーを総動員。往路・復路とも、すべての中継所と区間内の一部拠点にアナウンサーやリポーターを配置している[注 33]ため、「センター実況」と「情報センター」を担当しないスポーツアナウンサー、「情報センター」を担当しない制作部所属のアナウンサー(2021年は砂山圭大郎)、文化放送の元アナウンサー[注 34](鈴木光裕[注 35])、フリーアナウンサー(2021年は鬼頭里枝[注 36])で分担している。過去には、朝日放送(2018年4月以降は朝日放送テレビ)のスポーツアナウンサーにも、中継所の一部で実況を任せた時期があった。, 以下は2020年のネット局(10:00以降に中継を開始する局は併記)。ただし、テレビ・ラジオのネットワークの関係から、テレビで放送される放送局とは異なる場合もある。, アール・エフ・ラジオ日本は日本テレビグループで、コースに当たる神奈川県を放送対象地域とするラジオ局。いわゆる独立局であるが、文化放送と放送対象地域が重複する北関東のNRN加盟局や一部のコミュニティFM局でも放送。エリア内という事で極め細かく交通情報を流すのが特徴。, 文化放送の制作版と同様に、自前で中継車を走らせていないため、アナウンサーは基本として日本テレビの映像を見ながら実況。ただしスタート・ゴール地点と各中継所には、リポーターを独自に配置している。ちなみに、2008年から2020年まで文化放送の契約アナウンサーとして同局制作分の中継でセンター実況などを担当してきた槇嶋範彦は、2021年からラジオ日本制作分の中継でリポーターを務める。, 関連番組として、毎年12月1日から25日まで「タスキでつなぐ青春の200キロ ―箱根駅伝への道―」を、20時45分から21時まで放送する(これにより短縮される番組がある。山本さゆりのミュージックパークや60TRY部など)。, なお、BBQRおよびUstreamは国内はもとより、海外でも聴取可能であった。また、これとは別に2014年大会ではニコニコ生放送でも配信されている。但しこちらは大会の映像を配信するものではなく、「年末年始ぶっ通し78時間全局テレビ実況」の一環として配信された。コメンテーターに徳本一善(法政大学OB、2000年1区区間賞、現・駿河台大学監督)。, 現在陸上競技を取り扱う専門雑誌はベースボール・マガジン社の『陸上競技マガジン』と、陸上競技社の『月刊陸上競技』(発行は講談社と共同)の2種類がある。, このうち前者が上記の問題を比較的多く取り上げるのに対して、後者は、箱根駅伝そのものは予想なども専門的であるが、一連の問題は取り扱うものの、余り深いところまでは書かない傾向にある。これは後者が箱根駅伝を主催する関東学連とも繋がりが深く、大会協力として当大会に参加しているためでもある。, ただ、『月刊陸上競技』の編集長はたびたび留学生制度に対して苦言を呈していることもある。, なお箱根駅伝の観戦ガイドブックは上記2誌の増刊号として発売されているほか、共催社である読売新聞社、後援社である報知新聞社からも発売されている[注 47]。, 1920 - 1921 - 1922 - 1923 - 1924 - 1925 - 1926 - 1927 - 1928 - 1929, 1930 - 1931 - 1932 - 1933 - 1934 - 1935 - 1936 - 1937 - 1938 - 1939, 1940 - 1943 - 1947 - 1948 - 1949(1941・1942・1944・1945・1946は大会中止), 1950 - 1951 - 1952 - 1953 - 1954 - 1955 - 1956 - 1957 - 1958 - 1959, 1960 - 1961 - 1962 - 1963 - 1964 - 1965 - 1966 - 1967 - 1968 - 1969, 1970 - 1971 - 1972 - 1973 - 1974 - 1975 - 1976 - 1977 - 1978 - 1979, 1980 - 1981 - 1982 - 1983 - 1984 - 1985 - 1986 - 1987 - 1988 - 1989, 1990 - 1991 - 1992 - 1993 - 1994 - 1995 - 1996 - 1997 - 1998 - 1999, 2000 - 2001 - 2002 - 2003 - 2004 - 2005 - 2006 - 2007 - 2008 - 2009, 2010 - 2011 - 2012 - 2013 - 2014 - 2015 - 2016 - 2017 - 2018 - 2019, 読売新聞グループ本社(日本テレビ、報知新聞社、ラジオ日本) - 人物一覧 - 記録一覧 - 新春スポーツスペシャル箱根駅伝 - 文化放送, 東日本実業団(15都道県)- 中部・北陸実業団 - 関西実業団 - 中国実業団 - 九州実業団(九州沖縄), 箱根駅伝(関東男子)- 東海学生駅伝(東海男子・女子)- 丹後大学駅伝(旧びわ湖大学駅伝)(関西男子)- 中国四国学生駅伝(中四国男子・女子)- 平成新山島原学生駅伝(九州男子・女子), 国際千葉駅伝(男女混成、IAAF公認) - 東日本縦断駅伝(男子) - 環日本海新潟駅伝(男女混成) - 中国駅伝(男子) - 横浜国際女子駅伝 - 名岐駅伝(男子) - 淡路島女子駅伝 - 朝日駅伝(男子) - 九州実業団対抗女子駅伝 - 九州一周駅伝(グランツール九州)(男子) - 東日本実業団対抗女子駅伝 - 実業団女子駅伝中日本大会 - 実業団女子駅伝西日本大会 - FUKUIスーパーレディス駅伝 - 日光いろは坂女子駅伝 - 中国山口駅伝(中国地方近辺), 本大会の人物 - 本大会の記録 - テレビ放送体制 - 日本インカレ - 関東インカレ, なお、第95回大会から5000m16分30秒00の基準が廃止され10000mのみとなった, このため各出場校は、1区から使う正規のタスキと、5区が繰り上げになった場合の予備(その場合、この襷は6区以降の走者も使用する)、そして10区が繰り上げになった場合の予備という、3本のタスキを同じデザインで作成し、大会本部に提出して許可を受ける必要がある。, 『箱根駅伝70年史』(1989)には平均タイムが60分を切ったための特例とあるが、この著のベースになったと思われる, 新法人になってからは、ゼッケンの特別協賛のサッポロビールのマークが変わった(サッポロビール→SAPPORO)。, 総合優勝ではない場合、混雑防止などもあってチーム全員がゴールスペースにいることはほぼないため、チーム全員でお辞儀をすることは出来ない。, この記念碑について、実際には、石碑の表面に銅版彫のプレートがはめ込まれており、そこには「東京・箱根 往復(”・”の箇所には聖火トーチの図柄)」と「関東大学駅伝競走第35回記念(”第”は, 大学側にとっても、2日間のレースをテレビで完全生中継する箱根駅伝の方が、もしレースの間中トップを走り続ければ、その大学の名前は一日中テレビに映り続けるため、宣伝効果が高いという事情がある。, 女子駅伝では学生、実業団ともに全国各地にバランスよく強豪チームが分散している。また、男子実業団チームが走るニューイヤー駅伝でも全国各地に強豪チームが分散している。, 番組の途中には、日本テレビから映像・情報の提供を受けている旨のアナウンスを随時挿入。, 2007年以降は、有期雇用契約扱いの女性アナウンサーが代々担当。担当日に文化放送のみで流れる中継直前番組にも出演する。, 正時を跨ぐ都合上、ほとんどのネット局は最初の2分間はCMに充て、時報の後正時になってから各ネット局からの放送という形式を取っている。, 沿道の商店・民間施設の敷地を中継所の実況に借用する場合には、当該中継所を紹介する場合に、当該商店・施設に関するPRコメントを中継担当のアナウンサーが入れることがある。, 2013年より、7:00-8:00の枠で『箱根駅伝直前スペシャル』を自社制作。2012年まで10:00ないし11:00飛び乗り - 14:00。中日新聞ニュースのため一部時間帯に数分間中断。CBCラジオで放送される文化放送制作の番組で唯一の同時ネット放送。, 往路・復路とも、2007 - 2015年・2017年は平塚中継所、2016年は戸塚中継所を担当。, ラジオ日本制作分は関東地方(2013年以前は群馬県を除く)と兵庫・大阪の各府県のみ。, 2019年まで制作局の文化放送および同局と個別の中継回線でネット受けする一部の局(朝日放送ラジオやNRN非加盟のCBCラジオ)はステレオ放送で、NRN回線での配信をネット受けする局(秋田放送・北海道放送・中国放送など)は回線の都合上モノラル放送だったが、2020年はステレオ放送によるネット局が増加した(北海道放送・北日本放送・RSK山陽放送・西日本放送・中国放送・山口放送など。秋田放送などモノラル放送の局もあり)。, ラジオ日本は2011〜13年開催分の予選会の、文化放送は2014年以降の全日本大学駅伝(第46回以降)および2015年以降の出雲駅伝(第27回以降)の配信実績がある。, ただし、公式ガイドブックとなっているものは協力している陸上競技社発行のものであって、共催である読売新聞社のものは公式ではないことに注意。, 出典:サンケイ新聞近畿D版テレビ欄1979年~1983年1月3日付朝刊テレビ欄。なお、近畿放送は京滋オープンゴルフ中継などのため一度もネットしなかった。, https://archive.is/20100915051122/http://www.yomiuri.co.jp/info/info20100823.htm, https://hochi.news/articles/20190401-OHT1T50131.html, http://www.hakone-ekiden.jp/topics/detail.php?newsID=166, http://www.yomiuri.co.jp/sports/news/20080902-OYT1T00558.htm, http://runnet.jp/mrnews/detail/1889541_1786.html, http://www.jiji.com/jc/zc?k=201306/2013061100775&g=spo, “東京箱根間往復大学駅伝競走における関東学連選抜チーム並びに関東インカレポイントについて”, http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2013/06/11/kiji/K20130611005987560.html, 東京箱根間往復大学駅伝競走第4区・第5区の区間距離の変更とそれに伴う中継所の変更について, 四輪製品ニュース - 燃料電池車「FCX」、第80回東京箱根間往復大学駅伝競走で大会本部車として走行, 青学大・神野 山上りで驚異のハイペース「夢なんじゃないかな」 ― スポニチ Sponichi Annex 駅伝, 青学が往路初V!神野、3代目「山の神」襲名!!/箱根駅伝 (1/3ページ) - スポーツ - SANSPO.COM(サンスポ), 【箱根駅伝】青学大が往路制覇“山の神野”原監督も驚く5区で柏原超え : 事業 : スポーツ報知, https://www.nikkansports.com/sports/athletics/news/201711070000003.html, https://www.nikkansports.com/sports/athletics/news/201711070000126.html, 新春特別研究「マラソンでメダル」が見たいのに……なぜ日本人には「箱根駅伝までの選手」が多いのか, https://www.nikkansports.com/sports/athletics/photonews/photonews_nsInc_202011120000788-12.html, 沖縄ケーブルネットワーク、きょうから日テレを生放送 「ZIP!」「ヒルナンデス」ニュース番組中心に, OCN開局30周年祝う 節目に関係者ら350人 大熊社長「箱根駅伝を沖縄で初放送する」, https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=東京箱根間往復大学駅伝競走&oldid=81945979, 本大会の出場校数を19校に変更(シード10校+予選会枠9校、79回大会はシード9校+予選会枠10校で実施), 即位の礼の挙行日程を考慮し、この年に限り10月の第4土曜日(10月26日)に変更。, 3区で日本体育大学、8区で法政大学がそれぞれ正規選手走行不能のため補欠による再走を実施。, 前年11月の予選会で初めて下位成績の4校が予選会落選。予選上位15校が本大会に出場。, 第33回大会からシード権制度を初めて適用。前回大会の上位10校を予選会を免除して参加可能とする。, 第50回を記念して全20校で実施。過去の全優勝校を参加させるためにシード9校以外で, 2区のみNHKテレビが中継する。中央大学が7区と8区の走者の区間エントリーミスにより、, 中距離及びマラソンランナーの育成を目的として往路の小田原中継所を東京寄りの位置に変更。, 史上初の3校(順天堂大学〈5区〉、大東文化大学〈9区〉、東海大学〈10区〉)途中棄権。, 第85回を記念して全23チームで実施。シード校9校と選抜チーム以外の13校を予選会で選考。, 第90回大会を記念して、シード校10校と予選会を通過した13校の最多23校で実施。, 第95回を記念して全22チームで実施。シード校10校と選抜チーム以外の11校を予選会で選考。, 距離が延長された新5区で初・自身は2年連続の区間賞。2分26秒差を逆転し5人抜きで往路優勝。, 1位との差4分9秒を逆転し4人抜きで往路優勝。自らの持つ区間記録を25秒更新し3年連続の区間賞。, 復路から初の選出。中央学院大学初の区間新記録。中央学院大学史上最高位となる総合3位躍進に貢献した。, 1位との差4分26秒を逆転し6人抜きで往路優勝。自らの持つ区間記録を10秒更新し2年連続の区間賞。, 2区歴代5位のタイムで最下位から2分31秒差で先行する3位までの17人をごぼう抜き。チームの往路3位、総合4位に貢献。, 自らの持つ区間記録を29秒更新し史上2人目4年連続同一区間賞。往路記録の5分5秒更新、更に大会総合記録の8分15秒更新にそれぞれ貢献した。, 風速18m/sの強風の中で1時間20分35秒を記録。日本体育大学30年ぶりの総合優勝に大きく貢献した。, 10区歴代3位の記録で盤石な総合優勝を成し遂げた。また大会復路記録更新にも貢献した。, 5区の歴代記録(コース変更により参考記録扱い)を上回る区間記録で大学初の総合優勝に大きく貢献した。, 39年ぶり12度目となる「全区間首位」での総合優勝の端緒となり、大学2連覇に大きく貢献した。, 2020年10月に予選会、2021年1月に本大会が実施された第97回大会については「, 競技者の所属校が関東学連加盟校で競技者は当該年度の登録を完了していること(内規第4条), 出場申込回数が4回(予選会のみ出場の場合も回数に含む)を越えないこと(内規第7条), なお、開催30周年を迎えた第31回(1955年開催分)は本来開催予定だった予選会が, 他の出場校については当該同年度秋季に行われる予選会に参加し、その予選会上位5チーム, 第80回(2004年)の記念大会では関東学連選抜に代わり、日本学連選抜が参加した。, 関東学連選抜チームは第79回(2003年)から第82回(2006年)まではオープン参加扱いだったため、記録の公認は個人記録に限られ総合順位は付けられなかったが、第83回(2007年)からは総合順位も公認されることになった。関東学連選抜チームがシード権を獲得できる総合順位10位以内に入った場合、翌年のシード枠が1つ減り予選会からの出場枠が1つ増える(第84回で総合4位、第85回で総合9位となっている)。, 第89回(2013年)では関東学連選抜は各校1名ずつ16校からの選出に変更された。, 予選会タイムの上位10チーム(ただし第90回の記念大会では3枠増の上位13チーム), 本大会出場校以外のチームから選ばれた関東学生連合1チーム(ただし第90回の記念大会では編成しない), 予選会通過校(10校) - 予選会での成績上位10校(5年ごとの記念大会では11校), 選出選手は10月に行われた予選会に出走し、かつ本大会出場回数が2回を超えないことが要件となっている(第91回大会から適用), この区間で重要なのは「次につなげること」(先頭の見える位置でタスキを渡すこと)である。スピードランナーや準エースクラスの投入が多い区間だが、集団になれば牽制などでスローペースになったり、それほど大きくばらけなかったりする傾向にある。そのため、鶴見中継所に多数の選手が僅差で殺到することが多い。一方で、各校を代表するエースクラスが集い、他校よりとにかく1秒でも先に出るべく、超ハイペースで進行することもある。また、スタート直後に飛び出して逃げ切りを狙う(俗に言う, 第88回まではコース中に京急蒲田第一踏切が存在したが、立体交差化に伴い、現在は撤去されている(変遷などについては, 第37回(1961年)以降は最長距離区間となっている(ただし第82回(2006年)から第92回(2016年)は小田原中継所の位置が変更となっていて5区が最長距離区間だった)。各校がエース級の選手を揃えて争い「, 第82回(2006年)から第92回(2016年)までは18.5kmとされ、区間距離が大会唯一20kmを切る最も短い区間となっていた。第82回(2006年)にて、往路の小田原中継所が2.5km東京寄りに変更となった(, 第93回(2017年)からは中継所が再び鈴廣前となり区間距離も20.9kmで、第81回までのコースと同じになる, 第82回(2006年)からは距離が延長され、全区間で最長の23.4kmとなっていた。, 第91回大会(2015年)で区間距離は23.2kmに変更された。これは2014年2月7日をもって従来の通過点となっていた函嶺洞門が迂回する「函嶺洞門バイパス」の開通に伴い通行禁止となり、第91回大会(2015年)からバイパスへとコースが変更となったためであり, 5区および6区は非常に気温の低い山中を走る。平地とは温度差があるため5・6区を走る選手の中には, 第80回(2004年)の金栗四三杯創設以来、5区で区間賞を取った選手が同賞を17回中8回(第84回、第87回、第90回、第92回以降以外)受賞している。また、この区間で圧倒的な実力を示した選手に対しては「, 「4年連続同一区間走行選手数」が5区に次いで多く(33人)、復路中最多。3番目である2区はこの半数以下となっており、山の上り下りという特殊性が現れている。, 朝8時台に高地からのスタートという事もあって気温が低く、山中では降雪することも珍しくない。体温低下を防ぐために長袖シャツのユニフォームを着用、またはTシャツにアームウォーマーを併用して体温調節をする選手がほとんどである。, 前日の夜の気象状況によっては路面が凍結して滑りやすくなることもある。その影響により、下り坂の途中で選手が転倒するケースも度々見られる。, 箱根登山鉄道の小涌谷踏切では、往路と同様に選手が通過する際、職員が列車を踏切の直前で一旦停止させる措置がとられている(, 往路(4区)では序盤、平塚中継所通過後直進し、海沿いのコースを通るのに対し、復路(7区)は終盤、大磯駅入口交差点通過後に陸寄りのコースを通るため、4区よりも若干距離が長い。, 10区間中最も走りやすい区間といわれるが、前半に小刻みなアップダウンがある。また、当初は山から吹き降ろす冷気で冷え込むが、太陽が高くなるにつれて気温も上がるため、最も気温差が激しい区間となっている, この区間では、日差しが強いと遊行寺の坂付近で脱水症状を起こしやすい。ここでブレーキを起こすと後の2区間に大きな影響を及ぼすこともあるため、体調管理も重要な区間といえる。, 復路の鶴見中継所は全中継所中最も繰り上げスタートが発生しやすく、さらには手前が他の中継所と異なり引き込み口からリレーゾーンまで約160メートルの直線がある。この為、9区のランナーの目の前で10区のランナーが繰り上げスタートしてしまい襷をつなぐことができず涙する光景が幾度も見られる。, この区間での成績が総合成績に大きく影響する。事実、この区間は逆転が非常に多く、近年では第75回(1999年)の順天堂大学、第79回(2003年)と第84回(2008年)の駒澤大学、第82回(2006年)の亜細亜大学が、いずれも9区での逆転に成功し、総合優勝を成し遂げている。, 1区とは異なり馬場先門から日本橋を経由するルートとなっている。日本橋経由のコースになったのは第75回(1999年)からで、その際に区間が1.7km延びている。六郷橋と新八ツ山橋付近のアップダウンを除きコース全体はほとんどフラットだが、時折ビル風が選手を襲うこともある。, 最終区間である上に、沿道の観衆も増える事から、プレッシャーが一層掛かる区間。第75回(1999年)以降、距離の延長に伴って各チームとも準エースクラスを配する様になり、選手層の厚さが問われる区間になりつつある。近年では, 第88回まではコース中に京急蒲田第一踏切が存在していたが、現在は京急線の高架化に伴い、撤去されている(変遷等については, 1区と6区を除く往路と復路の各区間において給水が実施されるが、給水場所の選定や実施方法については駅伝対策委員会で設定される(内規第15条第6項), 特殊事情によって審判員に走行を制止された場合のロスタイムも原則として競技者の所要時間に含まれないが、この場合の計時も審判員が行う(内規第15条第8項), 出場各競技者の服装(ランニング用シャツ、ランニング用パンツ、トレーニング用シャツ等)は、各チーム統一のものを使用した上で胸部と背部に大会本部指定のナンバーカードを取り付けるが、学連選抜チームについては各選手の所属校のものの着用が認められる(内規第16条第1項), タスキについては事前に連盟に提出された各チーム独自のタスキ2本のうちの1本を中継し、残りの1本は大会本部が保管することとなっている(内規第16条第2項), 途中棄権は1970年代までの50回以上行われた大会の中で3件しか発生していなかった。しかし第71回(1995年)に19年ぶりの途中棄権が順天堂大によりなされて以降、第90回までの20年間で延べ12件の途中棄権が発生している。この20年の間には同一大会での複数校による途中棄権も3度発生している。, 同一大会での途中棄権校の数が最も多かったのは3校が棄権した第84回(順天堂大、大東文化大、東海大)である。また第72回(神奈川大、山梨学院大)、第89回(城西大、中央大)では2校が棄権している。, 同一大会の同一区間での複数校による途中棄権は、これまでに第72回(4区、神奈川大と山梨学院大)、第89回(5区、城西大と中央大)の2度生じている。, 過去2度の途中棄権をしている大学は、順天堂大(第71回、第84回)、東海大(第77回、第84回)、城西大(第85回、第89回)、山梨学院大(第72回、第90回)の4校である。, これまでの計11大会で発生している途中棄権のうち、第71回以降では2年続けて途中棄権が発生するケースが4度生じている(第71回と第72回, 早い段階での途中棄権については、第77回では東海大が、翌年の第78回では法政大が、第90回大会では山梨学院大が、それぞれ第2区で途中棄権している。最も短い距離での棄権は2区7.2km過ぎ地点での棄権となった第78回の法政大である。, ゴール間近での途中棄権については、往路では第84回の順天堂大が5区の芦ノ湖ゴールまで残り500mの地点で棄権している。復路では第52回の青山学院大が10区のゴールまで残り150mの地点で棄権している。, 前年優勝校による途中棄権は、これまで2度生じている。第72回の山梨学院大、第84回の順天堂大である。, これまで途中棄権が最も多い区間は、過去3チームが棄権している2区、5区及び10区である。一方、まだ途中棄権が発生していないのは1区、6区及び7区である。, 途中棄権した大学は以降の区間でオープン参加の扱いとなるが、棄権した以降の区間で参考記録ではあるが区間1位の公式記録を上回るタイムを記録したケースが2度生じている。第85回9区での城西大(復路8区で棄権)、第89回8区での中央大(往路5区で棄権)であるが、いずれの場合も参考記録扱いのため区間賞とはならなかった。ただし、かつては個人記録および一部のチーム記録(往路で途中棄権した場合は復路のチーム記録のみ)が公認されたことがある。第72回の7区と9区の神奈川大(往路4区で棄権)、10区の山梨学院大(往路4区で棄権)が途中棄権した以降の区間で区間賞を獲得している。, 5区、10区以外で途中棄権した場合、次の区間のスタート時間は大会規定により繰り上げスタートと同様の扱いとなっているが、交通事情を考慮し、審判主任の裁定によりそのスタート時間を早める場合もある。第72回の4区で神奈川大と山梨学院大が途中棄権した際は、本来は小田原中継所を1位で通過した早稲田大から20分差でスタートとなるが、交通渋滞を考慮して、最下位(13位)の東洋大が1位から10分03秒後に襷リレーを行った1分後に両校が一斉スタートとなった。第78回の2区で法政大学が途中棄権した際は、本来は戸塚中継所を1位で通過した山梨学院大から10分差でスタートとなるが、最下位(14位)の東海大が1位から4分00秒後に襷リレーを行ったと同時にスタートとなった。, 棄権には至らないものの故障や体調不良によるブレーキの事例が例年生じている。チーム競技である駅伝の特性上、体調を崩したり故障箇所を抱えている場合であっても、選手は「襷をつなぎたい」と思うがゆえに無理を押して走行を続けようとし、監督も棄権は良しとしない傾向が見られる, 途中棄権を回避するには、コンディションの悪い選手のエントリーからの除外、区間エントリー時での補欠選手との交代といった方策がある。また、エントリー数が20チームに増加した第79回(2003年)からは、本番までのチームマネジメントに余裕を与えるよう配慮がなされている。しかし本番直前の時期に調整不足や体調不良であった場合でも、その選手がそれまで良い成績を記録していたりチームのまとめ役だったりすると、本人が強い責任を感じている傾向にある上、監督としてもチーム事情を考慮した上で強行出場させてしまうケースがまま散見され、途中棄権の解消には至っていない。2012年(第88回)大会の東京農業大学5区の選手の様にエントリー締切後に不調を訴えるも、選手が交代できない事案もある。この選手は中盤以降はジョギングほどのペースまで速度が落ちながらも、1位のフィニッシュから約40分後に無事に完走した。, 総合優勝校には、賞状、優勝カップ、金メダル、優勝旗などを授与(内規第24条第1項), 総合1位から10位までのチームを入賞として賞状とトロフィーを授与(内規第24条第2項), 第88回(2012年)の10区では、かつて箱根を走った日大陸上部OB(第9方面隊所属、1年次に7区で区間賞、4年次に主将を務め総合4位に貢献)が先導を担当するというエピソードが生まれた, 第63回(1987年) - 第79回(2003年):サッポロビール(旧法人、現・サッポロホールディングス)。, 一部のトップ選手の場合には日本選手権など世界陸上やオリンピックへの出場を目指して実業団選手と走ることもある。また、近年は関東学連による海外遠征に参加する選手もいる。, 下半期になると各大学のスタイルは、記録会にほとんど出ないところ、予選会突破を目指すところ、出雲駅伝や全日本大学駅伝を目指すところ、というように分かれてくる。特に駅伝では未経験者を試しに使ったり、様々なオーダーを試したりする使い方をする。9月ごろからは再び頻繁に記録会がある。, 予選会に出る大学にとっては、10月中旬の本番までに最高の状態にピークを持っていかなければならない。予選会を突破することが最優先のため、本番の準備(特に5区、6区の山の区間)が遅れがちになる傾向にある。, 11月下旬に各地で開催されるハーフマラソンや記録会が、事実上メンバー選考の舞台となることが多い。エースクラスはともかく、当落線上の選手達にとってはここが正念場である。多くの大学が一堂に会するので、次第に大学間の力関係も浮き上がってくる。ここでの選手記録上位校がスポーツ新聞などの「下馬評」で上位校として取り上げられることが多い。, 表彰式では総合優勝校に優勝旗が授与されるが、前年優勝校が大学に置いたままにしていたためにあわてて取りに帰り、表彰式の開始時刻が遅れたことがあった。, 第63回(1987年)には、最終10区で順天堂大学の選手が、興奮して突然飛び出してきたファンとの接触により転倒した。, これまで、ごくまれに悪天候(=降雪)下で開催されたことがあるが、このために交通手段が影響を受け、選手や関係者が到着できずにあわや失格の危機に瀕した事例もある。, 沿道で配られる読売新聞社と報知新聞社の紙製応援小旗には、近年懸賞応募券が付いていた。これは使い終わった小旗を観客が沿道に捨てるのを防ぐための工夫であった。ちなみに2007年の懸賞は1等から8等まであり、1等は「箱根ホテル小涌園 宿泊招待券」だった。なお2010年の応援小旗は布製で、読売新聞社の小旗は読売新聞の社旗デザインが染め抜かれ、上部に「第86回箱根駅伝」と記されている。, 下述のように箱根駅伝を目標にする選手が多く、一度大学を卒業、実業団に入ったものの「箱根を走りたい」という思いだけで有力校に再入学し箱根を走った選手がいる, 北京オリンピック以降の男子マラソン代表は、全て箱根駅伝経験者で占められている(北京…尾方、, 2019年のMGCでエントリーした31人中、箱根駅伝経験者が25人をも占めており、未経験なのは前述の橋本崚の他、.